宮崎基地の沿革 1943年(昭和18年)12月より、陸上攻撃機(双発※エンジン2基の爆撃機)の練習航空隊、宮崎空として開隊した宮崎基地。隊門には2枚の表札があり、右側には「宮崎海軍航空隊」、左側には「赤江航空隊練習部」と記されていた。翌1944年(昭和19年)7月より始まった空地分離(航空隊の移動等の便を良... |
慰霊碑・資料について ここ宮崎の赤江飛行場は宮崎海軍航空隊(宮崎基地)として、南九州における本土防衛の重要な戦略的基地であった。宮崎基地では、海軍航空隊神風特別攻撃隊を主体としていたが、陸軍の特攻機も在籍部隊として発進していった。とくに陸軍機には海軍の予備学生出身者が、航法士・機長として搭乗し、陸海軍共同の特攻隊が編成されて... |
宮崎基地発進の特攻隊 『神風特別攻撃隊 菊水部隊銀河隊』 |
基地周辺の遺構 中攻用有蓋掩体壕 |
慰霊祭の様子
第25回慰霊祭 |
第29回慰霊祭 |
第35回慰霊祭 |
宮崎市補助事業(地域のお宝発掘・発展・発信事業)
慰霊碑前 |
弾薬庫跡前 |
門柱 |